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バイオグラフィの詳細をお届けしていくシリーズです^_^

前回に続いて、めでたく第9回でございます!よろしくお願いします。

大阪でのカフェの専門学校を中退し、バンドは解散させ、IT屋に戻る為にやってきた東京。いろいろなものを置いて、暫くはIT屋にただがむしゃらに集中し過ごしていました。でも一度はIT屋を辞めているわけで、どこか無理をしながら復帰し、やっている感覚もありました。おかげさまでIT屋は順調で、それに楽しくやらせていただいていましたが。

そんな中、音楽はAppleを筆頭に音楽配信の時代に入ってきました。

以前にネットに曲を公開し、その反応からネットでの音楽配信に興味を持っていた僕は、置いていた音楽を持ち上げました

プライベートレーベルを発足し、音楽活動を再開

そこから今日までの軌跡はニュースにてお楽しみいただき、このバイオグラフィの詳細をお届けしていくシリーズは、誕生日を迎えた今日で完結したいと思います^_^

ありがとうございました!

バイオグラフィの詳細をお届けしていくシリーズです^_^

前回に続いて、めでたく第8回でございます!よろしくお願いします。

並行して、仕事のIT屋としてITバブル時代を忙しく過ごしていました。

ある日、電車の中の広告に、カフェオーナーという文字が。そう、この時代はカフェブームでもあったのです。

よし、カフェをやろうとすぐ想ったのです。

たぶん、コンビニの仕事で直接お客さんと関わって反応を貰えていたのが、ITになるとお客さんは目の前にいなく遠いところで、反応を貰えるのは目の前の仕事を一緒にしている人からのみ、もしくはコンピューターからのみ。。

この何かを人に届ける距離感の違いからなんだと想いました。

カフェも、そして音楽も、距離が近い。

それで魅かれたんだと思います。

気がつけば、カフェの専門学校の申し込みもIT屋の退職も、全ての手続きが済んでいたくらい、自分の行動力に驚きました。

直近はライブカフェを開いて、皆にもそして自分にも珈琲と音楽で楽しみを提供して、老後は女子校か女子大の近くにカフェを開いて、恋愛相談とかされながらフォッフォッフォッって笑って過ごしたいなぁと、そんな想いを持ちながらカフェの専門学校に通ってカフェオーナーの勉強をし半年くらい経った頃、IT屋時代の先輩から連絡が。

東京で仕事を手伝って欲しい、と。

大阪にいてカフェオーナーを目指して勉強している自分としては、お断りしました。

しかしこんな僕に対しても、その後も何度も連絡があり、IT屋時代に大変お世話になった先輩でしたので、よっぽど困っているのかと東京まで話を聞きに行きました

その日に選択しました。

東京でIT屋に戻ると。

IT屋の僕を求めている人達がいるなら、やりたいカフェは別に今じゃなくてもいいかなと。求めている人達に飽きられるまでやって、その後でもいいかなと。

バンドメンバーは理解してくれて、バンドは解散。

僕は東京に。

さぁ次回から東京編です^_^

バイオグラフィの詳細をお届けしていくシリーズです^_^

前回に続いて、めでたく第7回でございます!よろしくお願いします。

ネットに曲を公開し始めると、その頃は配信サイトやSNSなんてなかった時代なので、ものすごく反響をいただきました

この事で、今後の私の音楽活動の転換となりました。

  • 活動はリアルより今後はネットがくるのでは、からの配信をメインに。(こちらは次回以降にお届けします)
  • バンドメンバーをこちらから募集ではなく、興味を持ってメンバーから募集してきてくれるように。(今回はこちらをお届けします)

興味を持ってバンドメンバーに立候補してきてくれるので、今までと熱量も違いますし、音楽のフィーリングも近いわけで、何名かと話したりセッションしたりし、誰かを楽しませるという目的を達成できると感じたバンドを結成する事ができました


  • Drums: 元プロでPA職人の30代男
  • Guitars: 元スタジオミュージシャンで公務員でミナミのキャバクラ大好きイケメン30代男
  • Guitars: 鳶職人でギターを始めましたイケメン20代男
  • Vocals & Bass: 元楽器屋でIT屋で音楽力も顔も全てが中途半端20代男の私

あるミュージシャンの方がおっしゃってましたが、バンドって甲子園を目指す高校野球チームみたいだと。振り返れば、まさにそんな感じでしたねぇ。

今は対バンやワンマンでライブが多いですが、僕らの頃はコンテストが多く、結成して形になってきた頃に、作りかけの曲であるコンテストに応募したら通ってしまい、そこからが試合をしていくチームみたいな感じでしたねぇ。

君と出会って
その時に完成した曲がこちらの「君と出会っ」です。

コンテストでは、お客さんも僕らも楽しむ事ができ、感じた通りこのバンドはいけるぞと手応えを実感した矢先に。。。

続きは次回に^_^

バイオグラフィの詳細をお届けしていくシリーズです^_^

前回に続いて、めでたく第6回でございます!よろしくお願いします。

バンドを結成しよう、そう考えた僕は、大阪と京都を拠点に、応募してくれる人達に会いに行きました。

その頃は珍しい女性ドラマー、ビートルズしか弾きませんと言う頑固ギタリスト、お寺の娘さんで今のうちにやりたいと言うキーボーディストなどなど、セッションで終わる人達、バンド組んでもメンバーが入れ替わるなど、そんな時期を数年ほど過ごしていました。

未熟だった(今もですが。。)僕は、誰かを楽しませるという目的を見失い、バンドを結成するという手段ばかりに落ち入り、ダメな音楽活動をしていました。

バンド活動が楽しくなくなってきた僕は、仕事で手に入れ始めたIT技術を使い、作り始めた数曲をネットに公開し始めました。

これがターニングポイントでした。

続きは次回に^_^

森山 康弘 - 2010

バイオグラフィの詳細をお届けしていくシリーズです^_^

前回に続いて、めでたく第5回でございます!よろしくお願いします。

IT業界に転職した僕は、ITの時代がやってくるわけで、めっちゃ忙しく働く事になりました。まぁ、、今でも結局変わってないのですが。。

そんな状況でも、音楽をしたい事に変わりはなかったので、活動を見直す必要がありました。これはいい機会でした。

なんで音楽をやりたいんだろう?

楽しいから。

なんで楽しいんだろう?

誰かが楽しんでくれるから。

あれ?自分が楽しむんじゃなかったっけ?

誰かが楽しんでくれるから、自分が楽しいのか。

そんな大事な事に、恥ずかしながらこの時に気がついたのです。

誰かを楽しませる事を、このITの仕事で忙しい状況の中でできるだろうか。

一人では難しいな。

仲間がいれば、チームでやればできるな。

バンドだ!

こうして自分のバンドを立ち上げる為に、メンバー集めに動き始めたのです。

続きは、次回に^_^

バイオグラフィの詳細をお届けしていくシリーズです^_^

前回に続いて、めでたく第4回でございます!よろしくお願いします。

インターネットの楽しさを知った僕は、ネットサーフィン(すでに死語ですかね。。)する日々を過ごし、その頃はプロバイダー料金に定額制なんてなかったので、、十万越えの請求がきてインターネットの恐ろしさを体感しました。。

音楽関連はバンドメンバー募集掲示板が多かったですねぇ。それまでは、スタジオに電話番号をちぎれるようにした貼り紙や、音楽雑誌に載っていましたねぇ。これが圧倒的な情報量と速度で見つけられるわけで、これで僕はネットの便利さと素晴らしさを最初に実感しました。

インターネットでバンドメンバーを募集している人達も、Windows 95の登場でパソコンを知りインターネットを知った僕と同じ人達なわけで、音楽・パソコン・インターネットの融合に何かを感じているもの同士でした。

そんなもの同士、雑談や音楽の話をしたり、メンバー募集からバンドに参加したり、オンラインでもオフラインでもたくさんの人達に出会えました。今と違って、オンラインとオフラインのバランスが取れていた時代でしたねぇ。

文字がパソコンに入りインターネットに流れ誰かに届く、そして自分にも届く。画像が、写真が、音楽が、映像が。特にこの事に僕は惹かれていました

(やがてこれらは、Blog、iPod、iTunes、DTM、SNS、YouTubeなどといった大きな時代の変化になっていくのです。)

そんな風にパソコンとインターネットに惹かれ18になった僕は、これからの仕事はこっちじゃないかと思い、楽器屋からIT企業に転職しました。この頃はまだITという言葉はなかったかもしれませんが、はい、この後にITの時代がくるのです^_^

こうして、ちゃんとした?社会人になった僕は、音楽業界とIT業界の両方に踏み入れたわけで、音楽活動を見直さなければなりませんでした。

これまでは仕事も音楽だったので、よく言えば自然と、悪く言えば何も考えず音楽をやっていました。これが仕事はITになり、音楽は別でとなりました。僕の中では転職して気がついた大きな出来事でした。

そこからの僕については、次回に^_^

バイオグラフィの詳細をお届けしていくシリーズです^_^

前回に続いて、めでたく第3回でございます!よろしくお願いします。

17歳で高校を中退し、社会に出ようと大阪にやってきた僕は、音楽業界で働いてみようと決めていました。

音楽業界の仕事の事なんて、17歳の当時の僕にはまったくわかりませんでしたが、自分に関係ある音楽とは、演奏、楽器、楽器屋で働こうとなりました。いやぁ、、こういう素直でシンプルな考えと行動、思い出さないとですね。。

タイミングが良かったようで、日本の楽器業界の全盛期の時で、ヒトが足りないという事ですぐ雇っていただけました。まずは通販の出庫作業をメインに倉庫からスタートです。

この頃は1990年代のヴィジュアル系バンド全盛期でもあり、X JAPAN、LUNA SEA、L’Arc〜en〜Ciel、GLAYなどなどキリがないですが、こういったミュージシャンモデルの楽器がバンバン売れてました。そして小室哲哉の小室ブームもやってきまして、ギター、ベース、ドラム、キーボードなどなど、、もう通販の出庫が追いつかなくてヒーヒーしてた記憶しかないです。。あ、YAMAHAさんにご招待いただき、大阪ドーム(京セラドーム大阪)のこけら落とし公演でglobeを観にいかせていただきまして、キーボードをぐゎんぐゎん揺らしながら暴れている小室哲哉を見た記憶もありました^_^

暫くして、梅田にある店舗(楽器屋)の店員としてもアサインされるようになり、ここで音楽の理論以外の知識や技術を学ばさせてもらいました。

楽器の事はもちろん、リペア、プログラミング、PA、照明、レコーディング、業界のお作法や政治などなど、ものすごくいい経験でした。

また、スタッフも音楽に興味や実績のある方々の集まりですから、現役のプロの方や引退された方、それも職種も様々で、メジャーのミュージシャン、スタジオミュージシャン、PAやレコーディングのエンジニアなど、そんな先輩方々の成功談や失敗談、ご指導、ものすごく勉強になりました。

濃い日々を送り音楽の世界に入り込んでいたある日、鹿児島から遊びに来ていた従兄弟と大阪駅前ビルをウロウロしていると、クイズ大会を開催している広場を通りました。質問に対して離れた二人が、フリップに同じ答えを書けるかというものです。従兄弟がノリノリで嫌がる僕を連れ参加する事に。

優勝しちゃいまして、当時これまたブームとなっていた、Windows 95搭載PC-98パソコンを賞品として貰っちゃったのです!

初めてのパソコン初めてのWindows、ワクワクが止まらずのめり込んでいったのを覚えています。インターネットなんてまだ遠い時代でしたからね。アナログ電話でピーヒョロヒョロガーって繋ぐ時代でしたよ。パソコン単体でおもしろかったですよ。

こうしてITの世界にも入り込み始めたのです。そして音楽の世界も広がり始めるのです。

その続きは次回に^_^

バイオグラフィの詳細をお届けしていくシリーズです^_^

前回に続いて、めでたく第2回でございます!よろしくお願いします。

一人で日本に戻ってきた僕は、栃木の祖母の家でお世話になりながら、高校に通う事になりました。

今は亡きヘビースモーカーのばあちゃん、、あの頃は色々と迷惑をかけてごめん。。世話をしてくれてありがとう。天国でもタバコ吸いながら巨人戦を観て、野次を飛ばしてるかな^_^

一応、進学校と呼ばれる高校に入りまして、初めての帰国子女との事で学校からは大事に扱われたのですが、基本ヒネクレている僕は、、それが嫌でしたね。。結果、期待を裏切ってしまう事にこの後なるのですが。。。

全校生徒からも、帰国子女という事で物珍しい扱いで、いろんな人が寄ってきてくれたのですが、あ、僕のモテ期はここがピークです、、というのはさておき、楽器できる?ときてくれた同級生がいました

ギターはできるよ、と答えたら、ギターは俺がやるから、歌いながらベースやってよ、と無茶ぶりされました。。

ベースって何!?しかも歌いながら!?となっていた僕に、STINGを教えてくれたのです。

カッコいいし歌いながらベースのイメージもできましたし、ベースの低い音にも惹かれ、彼とバンド活動をする事になりました。彼がやりたいというユニコーンのコピーを、がむしゃらにやってましたねぇ。

コンビニでバイトも始めまして、店長やスタッフ、お客さんにも恵まれまして、発注まで任されるようになり、仕事の楽しさや社会の事を知り始めました

高二になった頃に、比重が仕事>音楽>学校となっている自分に気がついたのです。早く社会に出た方がいんじゃないか、そんな風に考え始めていました。

どうなのかなぁと思い、学校に相談しました。そしたらですよ、初めての帰国子女が問題を起こすと学校に傷が付くから、と、、僕個人の事を見て考えて想って答えてくれなかったのですよ。。あぁ、、、大事に扱われてたのはそういう事かと。。。

基本ヒネクレている僕はそこで決めました。問題を起こしてやろうじゃないかと。ていうか、こんな学校に居る意味はないなと。高校を中退して社会に出て行く事にしたのです。

同じタイミングで、親がグアムから日本への帰国が決まりました。僕は嫌だったのですが、大阪に行くのでお前も来いと強制拉致されました。まぁ今想えば、、親も複雑だったでしょうし。。

こうして、濃い二年半を過ごした栃木を離れ、大阪へ行く事になりました。

さぁ、次回は17歳で社会人になった大阪での事です^_^

バイオグラフィの詳細をお届けしていくシリーズです^_^

めでたく初回でございます!よろしくお願いします。

僕の音楽活動の原点は、小5から中学卒業まで過ごした、グアムです。

私、こう見えて?帰国子女なのです。ただし、、英語の話せない帰国子女です。。日本人学校に通っていまして、ずっと英会話の下位クラスで、、、覚えた英語は、フライドポテトはフレンチフライと言う、です!

この日本人学校の同級生達と数年前に再会しまして、現在バンド活動をしています!こちらについてはまた別途お届けしていきます^_^

さて、グアム時代に聴いていた音楽は、以下な感じです。

  • 小田さん(小田 和正)
    • アルバム「sometime somewhere」を、上記に登場する同級生で現バンドのギタリストに、おすすめだよと彼の親父さんの車の中で二人きりで大音量で聴いて、それからずっと小田さんの音楽を聴いていますし、大尊敬するミュージシャンです。
  • マッキー(槇原 敬之)
    • シングル「どんなときも。」が、日本に一時帰国した時にヒットしているタイミングで、生まれて初めて買ったCDです。それからずっとマッキーの音楽を聴いています。
  • マイコー(マイケル ジャクソン)
    • アルバム「Bad」「DANGEROUS」を、マイコーの絶頂期に、テレビでカッコイイ映像を観たりアルバムを聴いたりで、それはもう、踊ったり、アォ!ポォ!と叫んでましたね。
  • MTVで流れている音楽
    • 暇さえあればずっとMTVを観てました。惹かれる映像や音楽が溢れていましたねぇ。1990年代前半の洋楽が、ジャンル問わず身体の中に染み込んでいます。

楽器に触れ始めたのもこの時期なのです。

親が習わせたかったんでしょうけども、環境から、先生は英語しか話さないですし、それ以上にドレミファソラシドではないという、、キッツイ思い出しかないピアノ教室に通っていました。。今でこそわかるのですが、英語のCDEFGABCで教えられるのですが、知っているドレミファソラシドではないですし、、、その違いも理解できず0から音楽をやっている感じでした。。。

数年後に、ギターの講師をやっていた事があるという、親父の会社の同僚の方と出会い、クラシックギターを教わりました。ここでCDEFGABCが役に立ち、すんなりギターと馴染めました。家が近い事もあり、毎週お邪魔して教わりながら弾かせてもらって、ギターにハマっていきました。そして、この方が日本に帰国する時、そのクラシックギターをくれたのです。今もギターを弾けているのは、この方のおかげでございます。本当にありがとうございました。

やがて中学を卒業し、一人で日本に戻り高校に行く事になりました。

その高校時代の事は次回に^_^

We are
ちなみに、この頃をきっかけにできた曲が「We are」なのです。