ベースとの出会い

バイオグラフィの詳細をお届けしていくシリーズです^_^

前回に続いて、めでたく第2回でございます!よろしくお願いします。

一人で日本に戻ってきた僕は、栃木の祖母の家でお世話になりながら、高校に通う事になりました。

今は亡きヘビースモーカーのばあちゃん、、あの頃は色々と迷惑をかけてごめん。。世話をしてくれてありがとう。天国でもタバコ吸いながら巨人戦を観て、野次を飛ばしてるかな^_^

一応、進学校と呼ばれる高校に入りまして、初めての帰国子女との事で学校からは大事に扱われたのですが、基本ヒネクレている僕は、、それが嫌でしたね。。結果、期待を裏切ってしまう事にこの後なるのですが。。。

全校生徒からも、帰国子女という事で物珍しい扱いで、いろんな人が寄ってきてくれたのですが、あ、僕のモテ期はここがピークです、、というのはさておき、楽器できる?ときてくれた同級生がいました

ギターはできるよ、と答えたら、ギターは俺がやるから、歌いながらベースやってよ、と無茶ぶりされました。。

ベースって何!?しかも歌いながら!?となっていた僕に、STINGを教えてくれたのです。

カッコいいし歌いながらベースのイメージもできましたし、ベースの低い音にも惹かれ、彼とバンド活動をする事になりました。彼がやりたいというユニコーンのコピーを、がむしゃらにやってましたねぇ。

コンビニでバイトも始めまして、店長やスタッフ、お客さんにも恵まれまして、発注まで任されるようになり、仕事の楽しさや社会の事を知り始めました

高二になった頃に、比重が仕事>音楽>学校となっている自分に気がついたのです。早く社会に出た方がいんじゃないか、そんな風に考え始めていました。

どうなのかなぁと思い、学校に相談しました。そしたらですよ、初めての帰国子女が問題を起こすと学校に傷が付くから、と、、僕個人の事を見て考えて想って答えてくれなかったのですよ。。あぁ、、、大事に扱われてたのはそういう事かと。。。

基本ヒネクレている僕はそこで決めました。問題を起こしてやろうじゃないかと。ていうか、こんな学校に居る意味はないなと。高校を中退して社会に出て行く事にしたのです。

同じタイミングで、親がグアムから日本への帰国が決まりました。僕は嫌だったのですが、大阪に行くのでお前も来いと強制拉致されました。まぁ今想えば、、親も複雑だったでしょうし。。

こうして、濃い二年半を過ごした栃木を離れ、大阪へ行く事になりました。

さぁ、次回は17歳で社会人になった大阪での事です^_^

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